クレームはみんなが共有するべきものではないなぁ

 私はAmazonをよく利用していますが、よく目に付くのが星マークの評価。それは一般の利用者が買った商品の感想を評価としてあらわせるシステムですが、中にはクレームに近い内容でその商品の価値を貶めている内容の評価も目に付きます。で、それらを見ていて思ったこと。
 もちろん販売側からではない買った人の評価ですから信憑性は確かでしょう。買ってよかったと思えたり、または買ってがっかりしたりなどの個人の感情が評価を左右するのも人間ですから否定はしません。
 しかしその内容もほめることと貶すことでは見る側にはまったく違う影響を与えてしまうのではないでしょうか。その商品をほめている場合は気持ちよく買うことができますが、その商品が反対に貶されている場合はまず買おうという気持ちにはなれません。自分の興味があって見た商品ですからひどいときにはその言葉を引きずってしまい落ち込むこともあるかもしれません。
 私が見たものを例にあげると「〜は買うべきではない」は評価の場所での発言とはとても思えません。被害者を未然に防ぐことができたとでも思っているのでしょうか。「私の〜を返せ!」なども、もともとあるものの改変や次世代のものを非難するときによく使うフレーズですが、個人の思いいれの部分が強く感情として現れた言葉になりとても冷静に商品を評価できているとは思えません。
 結果的に評価の部分で感情的になっている人が安易に商品の評価をしてしまっていて商品の利点や欠点がわかりづらくなっているように思えます。結局その汚い言葉で罵った商品に誰が明るい次を想像できるでしょうか。後に残るのは誰も買わない汚いクレームまみれの商品だけで、改善されるものでももうメーカーも消費者も見向きもしないでしょう。一番困るのは消費者側なのではないでしょうか。


 なにが言いたいかというと感情にまかせたクレームは見苦しいのでみんなが見る場所ではなくメーカーにいれて欲しいなぁ、ということです。